ヤマハ5号オルガン

ヤマハの歴史は明治時代に日本に入って来たオルガンに目をつけた山葉寅楠が飾り職人の河合小市と二人三脚で作ったのが始まりです。元はヤマハもカワイも同じ会社であった訳でして、大正時代に起きた労使紛争で袂を分ける事になりました。
そんな事は今回どうでも良い事でして、何故ミュージックリサーチにこのオルガンがあるのか?のお話です。記憶を辿ると多分2002年頃に来たと思います。私の昼間の職場、ヤマハピアノサービスはオルガンの修理もしておりまして、毎年新しい物でも戦後の昭和の物から最近私が修理した物は大正12年の楽器でした。
まあ悪い癖でして、一つくらい自分の楽器も持ちたくなったと言うか、ひと様の楽器ばかり修理するのが馬鹿らしくなったと言うか、全然理由にはなっていないのですが、こんなの楽器屋で買うもんではなく、手軽に手に入るのはヤフーオークション。
これには条件がありまして、自分で直せる方に限る!事。
なのでこれを読んで欲しくなった方でも絶対に手を出してはいけません。
うちのオルガンは神奈川県箱根の温泉宿にあったのを買い取りました。
確か¥70,000-程で、運賃と値段が変わらなかったように思います。ここからオーバーホール代金が上代¥400,000-ほど掛かりまして、これを店頭に並べて販売しますと売値が¥800,000-!
誰が買うねんな!となります。
オルガンと言うだけで皆さん古い楽器でしょう?と思われるのでしょうが、ウチの楽器はその昔ヤマハが日本楽器と呼ばれた頃の最後の製品でして、昭和60年前後の楽器です。後ろに日本楽器のシールが貼ってあります。
当時¥1,280,000-の売価の楽器でした。
いったい今作ったらお幾ら万円かかるのでしょう?
この5号オルガン、4列半のリードを持ち様々な音色が出ます。そのおかげでバラすのに半日、組み立てに丸一日掛かり、調律に3時間を要します。
調律は狂っておりますが、取り敢えずは音は全て出るようにして御座います。教室に持ち帰り、一日で出来る作業はしてあります。
是非是非 お弾きあそばせ。