イ・ムジチ合奏団

今日は17年ぶりに「I Musici」を聴きに行って来ました。勝手ながら私と彼らとのお付き合いはかれこれ1974年からで、私の中学1年の音楽の授業からのお付き合いとなります。
現在音楽関係のお仕事に就き、音楽教室を経営をして、また家庭をもち、2人の子供達と巡り会えるきっかけを作ってくれた言わば私のルーツともなる楽団、ミュージシャン達となります。
1951年に結成された「I Musici」は、当時200年ぶりに日の目を見たバロック音楽ブームに乗り、ヴィヴァルディの四季に至っては日本でミリオンセラーとなった実績を持ち、いまだにクラッシック界ではこの記録は破られていません。初代のコンサートマスターのフェリックス アーヨが亡くなったのは2023年の来日中の事でした。演奏会場のロビーには花束が置かれていたそうです。
私が推し活を始めてコンサートに通い始めたのは第二次黄金期の頃、コンサートマスターがアーヨ、ミケルッチからアッカルド&カルミレッリの2人体制に変わった頃からになります。今からから思えばあのサルヴァトーレ アッカルドがコンマスの時もあったのです。
四季のレコードの録音で言えば、4枚目の録音の時期となります。私の好みの演奏と言えば、2枚目の1959年、オランダ アムステルダムでの録音、アーヨ2枚目でのステレオ録音で、「I Musici」の四季と言えば今も昔もこれ!という1枚です。
但し当たり前ですが1959年は私はまだ産まれておらず、4枚目の四季の録音時に聴く事が出来た、ピーナ・カルミレッリがコンマスをしていた時の演奏は私の知る限りでは団員が最も円熟をしていた頃の演奏でとても感動をした記憶があります。
それ以降「I Musici」はコンサートマスターが変わる度に四季を録音する事となりまして、当然ながら私も全て所有する事になります。5代目のコンマス、アゴスティーニは大変ハンサムであった為、客席から黄色い声が飛ぶ事もしばしばありました。
ただコンサートマスターは、初代のアーヨからず〜っと何故日本人は四季が好きなのか?
毎日毎日毎日、これを演奏しないといけないのか?
考えるとノイローゼになり、皆さんコンサートマスターをお辞めになり退団されました。
この当時の日本公演は40日で25〜30公演が当たり前でして、大阪公演はフェスティバルホールと厚生年金会館での2回公演、その付近では大津、京都、神戸公演もあったのです。正にドサ周りの演劇状態でした。
<次回に続く>